「ここ」が大事
- 2013-01-08 17:01:00
弟家族が帰ってきました。
オーストラリアからはるばると。
ヨメさん(オーストラリア人)、長女10歳、長男6歳。
子どもたちは英語でしゃべれるが、日本語がしゃべれない。
言ってることは少しわかるが、しゃべれるほどではない。
弟は子どもたちに日本語をしゃべってほしいと思い、
何年かに一回は連れてかえってくる。
ただ、今回は長女の友達(完全外人)もいっしょに
連れてくる。
モチロン英語しかしゃべれないのでどうなるのか。
ま、ウチとしては子どもたち同士がイトコになるので
逆に英語を覚えてくれればと願う。
結果は・・・・弟の子どもたちは(友だちが来ているから)
英語同士でしゃべり、なかなか日本語ではしゃべらず、
ウチの子どもたちも英語でしゃべらず、今一つ
親の思惑どおりにはならない・・・・。
一番堪能したのは弟のヨメさんだろう。
彼女は生粋のオーストラリア人であるが、
オーストラリアで「日本語」を教える先生である。
日本に来て英語を教えるうちに日本に魅力を感じ
日本語を学び、弟と結婚し、オーストラリアに
帰っていった。
日本のことが大好きである。
わたしと英語で話すこともできるが、あえて日本語で
話してくる。
一生懸命伝えようと話してくる。
そしていっぱい写真をとり、オーストラリアに帰ってから
生徒たちに見せたい、と目を輝かせ語る。
言葉は大事だが、「好き」になることが大事だなぁと
思う。
わたしもその昔、アメリカに留学した時、アメリカが大好き
だった。
あ~、この国で自由に言葉を駆使して生きてみたいと
思った。
そして・・勉強して少しづつしゃべれるようになるが
少しづつアメリカが嫌いになる。
なんか居心地が悪い・・・。
「自分の国じゃないな」という思いがドンドン
大きくなる。
そして日本に帰ったワタシだが、それは国のせいでは
なかった。
ワタシ自身がいつも「どこか」に居場所を探して
いたんですよね・・・。
「ここ」じゃない「どこか」を。
でも、思ったのは「ここ」が好きになれなかったら、
どこも好きになれない、ということでした。
日本を離れ、何万キロのかなたに住んで、わかったのは
「ここ」が大事なんだと。
外に向けた目は最終的に自分の内側に向けて
はじめて見えました。
貴重な体験をさせてくれた親に「感謝」ですね。
英語がしゃべれるようになったのは「オマケ」です。