久々の対面…そして
- 2021-05-15 08:28:00
昨日、急遽広島に行った。
広島の叔母が今いる病院を出て別の病院に
移るという。
コロナ禍の中ではお見舞いも出来ないので
コレが会える唯一のタイミング。
朝4時半起きで広島に向かいイトコたちと
待ち合わせ退院する病院に向かう。
叔母の息子たちはPCR検査を受けて東京
から戻ってきた。
娘は近くに住んでいるので日頃のお世話は
娘がしている。(といっても会うことは
出来ない)
病院の玄関で待っていると叔母が車椅子
で押されて出てきた。
息子たちと手を握り挨拶をしたあと
私を見つけると叔母は「たーちゃん、よく
来てくれたね。会いたかったよ〜。」と
息子以上に感情を込めて私の手を握って
くれた…。
私も胸が詰まった…。
「久しぶりだね…。」と言うのがやっと
だった。
次に行く病院は叔母の最後の病院になるだろう。
末期がんの叔母は緩和病棟のある病院に
入れるという。
そこも面会出来るのは限定1人だけ。
当然そばにいる娘だ。
だから私や息子たちは今から行く病院まで
の道のりが最後の時間だ。
わずか15分間のことだった。
叔母は「私はでも83歳まで生きれて十分よ。
いい人生だった。子どもたちもみんな
立派になったし思い残すことはないよ。
わざわざ私のために来てくれてありがとう。」と言った。
私は泣きながら「そんなの当たり前じゃん!」というと「ありがとう。その言葉が
うれしいよ」と叔母も泣いていた。
叔母が亡くなるのはつらい。
でもそれは順番だから仕方のないこと。
いつかは来る。
でも、このコロナで最後の挨拶がこんな
ものでいいのか…。
叔母の余命は3ヶ月という。
それがどれだけあったとしても誰にも
会えないのなら、どんな意味があるのだろう。
救いは娘だけは1日15分会えるということ。
私は手紙で今までのお礼を書いた。
そして可愛がってくれたウチの妻と子ども
たちの写真を額に入れて渡した。
妻は寝まきを買ってきてくれた。
会ったのは一瞬だったが、それでも叔母の
態度で私が生まれてから55年の間の愛情
を瞬間に感じとれた…。
おばちゃん、ありがとう。
いっぱい可愛がってもらい、いっぱい
怒られて、いっぱい優しくしてくれて。
いつもオレのことを気にかけてくれてたよね。
自分の息子のように。
夜、叔母の娘(私のいとこ)からLINEが
来た。
「太郎ちゃん今日はありがとう。みんなに
会えて少し元気になったみたい。太郎ちゃん
のこと大好きみたいよ。今日は本当にありがとう。
1日でも長く安らかに、その日を迎えてもらえるようがんばります。」
また、会えるようになる日が来ることを
心より祈っています…。