「ここ」が大事
弟家族が帰ってきました。
オーストラリアからはるばると。
ヨメさん(オーストラリア人)、長女10歳、長男6歳。
子どもたちは英語でしゃべれるが、日本語がしゃべれない。
言ってることは少しわかるが、しゃべれるほどではない。
弟は子どもたちに日本語をしゃべってほしいと思い、
何年かに一回は連れてかえってくる。
ただ、今回は長女の友達(完全外人)もいっしょに
連れてくる。
モチロン英語しかしゃべれないのでどうなるのか。
ま、ウチとしては子どもたち同士がイトコになるので
逆に英語を覚えてくれればと願う。
結果は・・・・弟の子どもたちは(友だちが来ているから)
英語同士でしゃべり、なかなか日本語ではしゃべらず、
ウチの子どもたちも英語でしゃべらず、今一つ
親の思惑どおりにはならない・・・・。
一番堪能したのは弟のヨメさんだろう。
彼女は生粋のオーストラリア人であるが、
オーストラリアで「日本語」を教える先生である。
日本に来て英語を教えるうちに日本に魅力を感じ
日本語を学び、弟と結婚し、オーストラリアに
帰っていった。
日本のことが大好きである。
わたしと英語で話すこともできるが、あえて日本語で
話してくる。
一生懸命伝えようと話してくる。
そしていっぱい写真をとり、オーストラリアに帰ってから
生徒たちに見せたい、と目を輝かせ語る。
言葉は大事だが、「好き」になることが大事だなぁと
思う。
わたしもその昔、アメリカに留学した時、アメリカが大好き
だった。
あ~、この国で自由に言葉を駆使して生きてみたいと
思った。
そして・・勉強して少しづつしゃべれるようになるが
少しづつアメリカが嫌いになる。
なんか居心地が悪い・・・。
「自分の国じゃないな」という思いがドンドン
大きくなる。
そして日本に帰ったワタシだが、それは国のせいでは
なかった。
ワタシ自身がいつも「どこか」に居場所を探して
いたんですよね・・・。
「ここ」じゃない「どこか」を。
でも、思ったのは「ここ」が好きになれなかったら、
どこも好きになれない、ということでした。
日本を離れ、何万キロのかなたに住んで、わかったのは
「ここ」が大事なんだと。
外に向けた目は最終的に自分の内側に向けて
はじめて見えました。
貴重な体験をさせてくれた親に「感謝」ですね。
英語がしゃべれるようになったのは「オマケ」です。